人は自分のまいたものを刈り取る

6:7-8まちがってはいけない。神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。

すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。

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ガラテヤ人への手紙

第6章(CHAPTER 6)

兄弟たちよ。もしある人が罪過に陥っていることがわかったなら、霊の人であるあなたがたは、柔和な心をもって、その人を正しなさい。それと同時に、もしか自分自身も誘惑に陥ることがありはしないかと、反省しなさい。

互に重荷を負い合いなさい。そうすれば、あなたがたはキリストの律法を全うするであろう。

もしある人が、事実そうでないのに、自分が何か偉い者であるように思っているとすれば、その人は自分を欺いているのである。

ひとりびとり、自分の行いを検討してみるがよい。そうすれば、自分だけには誇ることができても、ほかの人には誇れなくなるであろう。

人はそれぞれ、自分自身の重荷を負うべきである。

御言(みことば)を教えてもらう人は、教える人と、すべて良いものを分け合いなさい。

まちがってはいけない。神は侮られるようなかたではない。人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。

すなわち、自分の肉にまく者は、肉から滅びを刈り取り、霊にまく者は、霊から永遠のいのちを刈り取るであろう。

わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。

だから、機会のあるごとに、だれに対しても、とくに信仰の仲間に対して、善を行おうではないか。

ごらんなさい。わたし自身いま筆をとって、こんなに大きい字で、あなたがたに書いていることを。

いったい、肉において見えを飾ろうとする者たちは、キリスト・イエスの十字架のゆえに、迫害を受けたくないばかりに、あなたがたにしいて割礼を受けさせようとする。

事実、割礼のあるもの自身が律法を守らず、ただ、あなたがたの肉について誇りたいために、割礼を受けさせようとしているのである。

しかし、わたし自身には、わたしたちの主イエス・キリストの十字架以外に、誇とするものは、断じてあってはならない。この十字架につけられて、この世はわたしに対して死に、わたしもこの世に対して死んでしまったのである。

割礼のあるなしは問題ではなく、ただ、新しく造られることこそ、重要なのである。

この法則に従って進む人々の上に、平和とあわれみとがあるように。また、神のイスラエルの上にあるように。

だれも今後は、わたしに煩いをかけないでほしい。わたしは、イエスの焼き印を身に帯びているのだから。

兄弟たちよ。わたしたちの主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように、アァメン。

THE EPISTLE OF PAUL TO THE

GALATIANS

http://web1.kcn.jp/tombo/v2/GALATIANS06.htmlより

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持っていても途中まで読んだ切りで長くいた聖書。📕 今再び読み直しています。 💙 聖書アプリにある 「本日の聖句」から その聖句にある章を転載。 💛 ※タイトルはその時感じたままつけました